活動報告

神様に力を与えて差し上げる想いで1つとなり平和を成した ~CGMバレーボール大会~

去る8月11日に平和バレーボール大会が行われ、参加しました。

平和のために

終戦から80周年を迎えた今、「平和とは何か」を改めて考え、真なる平和について考える機会をもちたいと考えました。
私たちのチームでは、「私から平和の足跡を」というテーマを掲げ、自ら平和を成していこうという志を持って大会に臨みました。

不安と緊張のすべりだし

私たちのチームは、バレー経験者がほとんどおらず、練習も去年からしてきましたが、計1か月程度。強いサーブやスパイクが来ると逃げたり弾いたりしてしまうレベル。
不安と緊張で固まっていました。

敵は愛すべき仲間であり、対戦相手があってこその平和。

しかし、前半戦はボロボロでした。
このような状況で、平和を成す、ということを考える余裕もなく、しかし、これではいけない、と真剣に考えました。
その時、勝てるはずもない相手に対して神様をひたすら呼んでミラクルを起こした聖書の人物のことを考えるようになりました。

ダビデの賛美の力

聖書の中に、石一つで巨人ゴリアテに勇猛果敢に立ち向かったダビデ王がいます。
ひたすら神様を呼んで、小さな石をゴリアテに命中させ勝利をもぎ取ったことでも有名です。
彼は幼すぎたため、剣や鎧ではなく実際には「小石1つ」で、「神様への賛美」と「信仰」を頼りに勝利したと書かれています。
ゴリアテに勝利した後も彼は、幾多の困難、死の谷の峠を越えながらでも絶えず神様を賛美し、イスラエルの王となっても神様を賛美することを忘れず、数多くの美しい詩を書き残したことでも有名です。

ダビデ王が残した聖書の中の書物、「詩篇」には「私はいつも主をほめたたえる。賛美は絶えず私の口にある」(詩篇34:1)と記されています。
賛美を通して神様を呼び求める人に、神様は必ず共にしてくださり勝利を与えてくださる
そういいながら戦いを多く制してイスラエルを平和へと導いていった人物がダビデ王です。

バレーを通して起きたミラクル

ダビデ王のように、「神様を賛美し、神様を喜ばせて差し上げよう」これだけが私たちが1つになることができる方法だと考え、早速行ってみました。

すると、

1.不思議なほどボールが落ちなかった。
2.潜在能力が引き出され、普段見えなかった個性と力が表れた。
 =一人ひとりがどれほど尊い存在かを悟る機会となった。
3.しかし、見えない喜び・愛・平和・闘志のエネルギーは大きく、相手も圧倒されるほど神の力を感じた。
4.春高出場経験者を擁する強豪チームに対しても凡ミスを誘い、流れを変えた。
5.19-2という絶望的な状況から17点まで追い上げる奇跡。
6.どのチームからも10点以上を奪ったこと。

これは単なる結果以上のミラクルでした。
結果は1勝3敗でしたが、ものすごく成長し変化できたと感じられる大きな一歩となったと思います。

聖書の御言葉は今も生きている

ただ聖書に書かれている言葉で終わらず実践したことで「神様はいるんだな、本当なんだな」と実感しました。

ある時、牧師先生が神様に尋ねました。
「聖書の御言葉は昔の人々に語られたもので、今の私たちには当てはまらないのではありませんか?」
すると神様はこう答えられました。
「聖書で話したすべてのことは、今も私が責任をもってしてあげる」。
つまり、聖書に書かれてあることは「昔の話」ではなく、今の時代にも同じように起こるのだと感じる一日となりました。

 

さいごに

多くの人たちが「平和への祈り」を絶やさず80年が過ぎてきました。

平和はただ待っていても訪れません。論じるだけでも成されません。
自分がまず平和になり、行動に移してこそ成されるものです。1人が本当に価値があり大きいということです。そして、1人1人の願いが1つとなる時に大きくなされます。

私たちはそのように学びました。
それを自分たちの中で実践する機会にしようと考え小さな一歩を踏み出せたのではないかと思っています。

大会を通して
・自分自身も力を受け、
・相手チームも力を受け、
・観客も力を受ける。

このようなことが成されてこそ平和を作り上げられるのだと思いました。

大きな視点で物事をとらえ、目の前の自分の小さなことから一つ一つ実践していくとき、平和がなされていくと思いました。
神様のような大きな視野を持って、真の平和がなされることを切に祈りながら、スポーツだけではなく、普段の生活の中でも平和をなせるよう実践していきたいです。

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